人生には攻略本が無い。
にもかかわらず、誰一人として「ここは詰みポイントです」と教えてくれない。
親も、上司も、先生も、Googleですら。
年始の朝、カフェの静けさの中で俺は、その事実を再確認した。

コーヒーはうまく、室内は快適だが、人生はちょっぴりほろ苦い。
世界はちゃんと回っているのに、人生だけが相変わらずノーヒントだった。
ちなみにオレは親になったし、上司にもなった。
じゃあ先生かと言われると、どうだろう。
「自分の得意なことを教える」という意味では、先生にもなった。
でも、Googleにはなっていない。
こうして始まったのが、
**「人生はノーヒント」**という連載だ。
※「連載」と言えば聞こえはいいが、正直に言えばすることがなく、AI生成画像を試したかっただけである。
特にサムネイル。あれは本気で驚いた。
攻略本なし、正解表示なし、リトライ不可。
そんな人生をゲーム脳と妄想力、それに持て余す休暇をフル活用して記したものである。
新年のカフェで、本を手に取った。
理由は単純で、人生の説明書がどこかのページに挟まっていないか確認したかったからだ。
この選択自体、すでに敗北フラグだったのかもしれない。
ページをめくってもあるのは抽象的な言葉、そしてその装丁が俺の気を惹く。
さらに「考えろ」「感じろ」「自分で決めろ」という、責任だけが火の玉ストレート級に向かってくる。

なるほど。
人生というゲームは、説明書を探した時点で“試行錯誤しろ!”が始まる設計らしい。
気づいた瞬間、コーヒーはまだ温かいのに、背中だけが妙に冷えた。
この世界、親切そうな顔をしていきなり突き放される。
人生には仲間がいる。
だが、戦力として数えるのは危険だ。
魔法は外すわ、回復は遅れるわ…。
そのくせ「今それ言う?」という場面で、急に空気を乱したりしてくる。
それでもパーティは解散しない。
なぜなら、ソロプレイの方が地獄だからだ。
ちょっと待てよ…あくまでこれは自分視点だ。
他人視点で見ると、誰かの人生で俺も事故っている仲間になってるはずだ。

これだけは自覚せねばならんことだろう。
学歴、身体機能、それにこれと言った特化スキルもない。
だけど一応、席だけは用意されている。
ここで理解する。
人生は、完成キャラが一人もいないまま進む、欠陥だらけの協力プレイだということだ。
…続く。
◆
このあおむしの物語。
約、二百数十名の方々より、叱咤(しった)のみを頂きました。
※激励は無く…。
やりすぎ、盛りすぎ、くだらなさすぎ。
挙句の果てに、ダンゴムシを模した玉を投げつけられました。

ただ、ここで”あおむし”を投げつけられなかったのがミソ。
きっとこの意味は、激励を意味するのだろうと自分勝手に捉えています。
そうでなきゃ、やってられるかよ人生。
急にやきめしが食いたくなってきた。

はらぺこやきめし
…
…
…
…
そら、ダンゴムシを投げつけられるはずだわ。