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「いい事だからやろう」だとか「悪い事だからやらない」
人は必ずしも”善悪”だけで行動を決めてはいない。

「損(リスク)が大きいからやらない」という判断も大きな割合をもっている。
今回の”暴力”にしてもそうだ。
「死なせてしまうからしない」と考える人もいるだろうし、「捕まるからしない」という人もいる。
そのための”法”なのだから。
その結果、悪事を働けば、粛々と法に則って裁きを受けることになる。

なので「犯罪は道徳的に悪い」という教育に加えて、「犯罪は割に合わない」という教育も一定の意味はあると俺は考えている。
今回のような強盗致死事件を例にすると、数万円奪った結果…
・無期懲役、場合によっては死刑
・家族の人生崩壊
・結婚など家庭形性の困難
ほんの一例に過ぎないが、このような代償が待っている。
経済的に見ても全く割に合わないことは明らかである。
ただ、犯罪者の多くがその計算をしていないことです。
というより、出来ていないというのが本音だ。

「数万円欲しい」と考えているのではなく「ムカついた」「ナメられた」「その場のノリ」という感情が先に来る。
だから「死刑になるぞ」という感覚がブッ飛んでしまうのだろう。
それを防ぐために、徹底的に反復して教え込む。
なんで、テストにならない教科なんだろうか…と本気で思っている。
むしろ、勉強嫌いな不良少年たちが、懸命に取り組むはずだ。
例えば、尾崎豊の歌詞を現代文の問題にして「筆者の気持ちを答えなさい」という問い。
〽行儀よくまじめなんて できやしなかった
夜の校 舎窓ガラス壊して回った

不良少年が食いつきそうな歌詞でしょ?
こんな問いには、生徒会に属してる優秀な人間には全く理解できないだろう。
それもそのはず。
行儀よくまじめにやってきた結果が、今の自分の姿なのだから。
不良少年や優等生が集まる玉石混交なる公立学校なら、なおさら。
必修科目にしてもいいはずだ。
言葉は悪いが、不良少年が参加できるような場所を与えそして、犯罪の抑制を目指す。

「暴力はいけません」という道徳教育と「犯罪は人生設計として最悪の投資です」という損得教育の両方が必要なのです。
特に10代後半から20代前半の若者には、意外と響くこともあるんじゃないでしょうか。
◆
己を知るということ。